2005年5月末のスカンジナビアへの旅日記
[5組重松輝彦君ご長女 厚井・重松輝美さん・ご主人 厚井芳則さん]
この旅日記は2005年の夏には紹介するつもりで書いたものを、
つい自分達の仕事に追われるまま、今になってまとめたものです。
時代の流れの速い今では、二年の歳月の差は、もはや「ずれ」が生じているかも知れませんが、
少し紹介します。
最初に自己紹介しておきたいのですが、
僕達夫婦はアメリカ、バークレーで生物自然科学の基礎研究をしており、
旅に出ると言う事は、何の予備知識もなく、出たとこ勝負で行く弥次喜多道中のようなものなので、
読み手の皆さんからは常識的な事も、僕達にとっては新鮮な驚きの連続でした。
さて、2005年の5月末から6月にかけてフィンランドのツルクで研究会が有り、
それを利用してノルウェーのフィヨルド見学をした顛末です。
ヨーロッパへ僕達二人揃って出かけるのは、
1988年ペレストロイカが吹き荒れる時代の共産圏
チェコスロバキアのブルーノに学会で出かけて以来17年ぶりです。
ブルーノでは遺伝の元祖メンデルの地を訪ねた訳です。
その時は、チェコからオーストリア、スイスをまわり、
当時は国境を越すたびに、それぞれの通貨を交換するのに時間を費やしたものでした。
今はヨーロッパ連合で色々共通になっていると理解していたので、
サンフランシスコの空港で早速ドルをユーロに交換し、さっそうと出発しました。
もうここで、僕達の知識のなさが間違いを生んでいる訳です。
結果的にユーロが使えるのはフィンランドだけでした。
最後のノルウェーで教えてもらったことなのですが、
スカンジナビアとは本来、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの三国をさすのだそうで、
ノルヂックと言うと更にフィンランド、アイスランドが含まれる事になるのだそうです。
しかし、一般にはノルジックの5国をスカンジナビアと同じに考えているらしい。
フィンランドはその中にあって長くスウェーデン、ロシアに支配された歴史的背景もあり、
一種独特の色眼鏡をかけてみられているらしく、
それがむしろフィンランドをより強くヨーローパ連合と結び付けていると言うのです。
一方ノルウェーは水が豊富で、水力発電で大きなエネルギーがまかなえる上、自国の石油も大量に出るため、エネルギー源を一切他国に依存していないのだそうで、独立自尊なのでしょう。
ユーロがフィンランドだけに使えている訳でした。
今回は、トイレの値段の話をします。
誰も、「さて出かけよう」と思う前に、まずトイレに行っておこうと考えるのではないでしょうか。
日本では、至る所にトイレが有り、しかも比較的清潔でまあ安心です。しかもタダで使えるのです。
しかし、ヨーロッパではそうはいきません。
17年前チェコを訪問した時、駅のトイレを使おうとしたら、トイレの前で大きな体のおばさんが、
お金を払わないと中に入れないと言うのです。仕方なくお金を払うとトイレの紙を渡してくれたものでした。
今はさすがにそういったおばさんに立ちはだかれる事はありませんでしたが、
やはりお金を払わないとトイレのドアが開かなかったり、動物園などに入る際によくある、
回転バーがトイレの前に有り、お金を入れないとそのバーが回らなかったりするようになっているのです。
仕事があったフィンランドのツルクから首都のヘルシンキまで日帰りで見学に行って来ました。
ツルクの朝市
ツルくの
ツルクからヘルシンキまで汽車で一時間、少なくとも途中まで単線の鉄道で、費用は片道23ユーロでした。
ヘルシンキは多くの観光客で溢れていたのですが、
そんな中から、ツルクの人はおっとりとした人達なのだと分かったのです。
その一つの例は、ヘルシンキには頬にピヤスをしたり、
髪を紫に染めたりしている若者がチラホラいたのですが、
ツルクにはそのような人には全く気が付かなかったと言う訳です。
しかし、紫頭の格好の人はノルウェーのオスロにはもっと沢山いて、
ヘルシンキの人はまだおとなしい方だと後で分かりました。
フィンランドはスウェーデンに400年、その後ロシアに100年以上支配されていた。
最初ツルクが首都でしたが、ロシア支配を受けてヘルシンキが首都になったのだそうだ。
ロシアから離脱したいが為、最後までロシアと戦ったフィンランドは、
敗戦後ロシアに多大な賠償金をかなり長い間払い続けたと聞かされました。
その日のうちにツルクにもどったのですが、
ヘルシンキの汽車の駅のトイレは1ユーロを払わなければ入れなかったのです。
でも汽車の中のトイレはタダなのです。汽車に乗るまでトイレは我慢しよう。
ツルクの仕事が終わって、フィンランドには申し訳ないが、すぐノルウェーのオスロに移動しました。
オスロの初日、早速レストランに入って、メニューを見たら、
やたらと数字の桁が多いので、店の人に聞いたところ、ノルウェーの通貨クローネだと言うのです。
ユーロが使えないのです。
クローネを6から7で割ればドルになると聞かされ、少し高めの値段ですが安心しました。
蛇足ながら、我々のとった食事はデザートを含め560クローネでした。
請求書を見ると25%が加算されているではありませんか、
これは何かと尋ねましたところ、
ノルウェーでは全て25%の税金がかかるのだと教えられました。
後から確かめてみると、フィンランドでは22%とられていました。
更にテーブルチップをおかねばならないので、結局650クローネを置いてくることになったのです。
旅行者にとっては大変な負担です。
だから、その後はソーセージにパン、つまりホットドッグの生活になってしまいました。
さらに蛇足ながら、そのホットドッグと細かく「かりかり」に油で揚げたタマネギがよくあう、
これには少し感心しました。
オスロから汽車に乗る前にトイレに行こうとしたら、例の回転バーが有り、
10クローネ入れるよう指示されていました。又、汽車に乗るまで我慢する事になった訳です。
O S L O 駅前
僕達は途中フラムで一泊しました。
FLAM鉄道と船着場
ここのホテルで輝美が面白い経験をしたのです。
そのホテルのトイレを使った時の話で、(もちろんホテル内のトイレはタダです)日本人客がいて、
自分のハンカチを出して手を拭いているので、
輝美が備え付けのペーパータオルで手を拭けば良いのだと言いますと、
「そんなもので手を拭けば手が荒れません?」と疑問を投げかけてきたそうです。
しかし、その人も良い考えだと思ったのか、何枚も備え付けの紙を巻き取り、
折りたたみ丁寧に自分のバッグに入れて出て行ったのだそです。。
言われて思ったのは、確かに日本の建物の中のトイレには、
備え付けのペーパータオルがないところが多い。
新しく作られたトイレには熱風乾燥などの設備がありますが、
ペーパータオルがトイレにあると言うのは日本では一般的ではないのでしょう。
話はもどって、僕達はフランからフィヨルドを船で回り、ベルゲンに着きました。
F J O R D
ここベルゲンは1300年オスロに首都が移るまで、ノルウェーの首都で、ハンザ同盟の中心だったそうです。
後にデンマークの支配を受けたと聞かされました。
今のノルウェーの王室はデンマーク王室の由来だそうです。
ベルゲンは断崖絶壁に囲まれた港町で、中の町並みは世界遺産に指定されております。
B E R G E N(−世界遺産)
さて、オスロに戻る前、ベルゲンの駅で輝美がトイレに行っておきたいと言い出しました。
ここでは5クローネで、オスロより安いからまあ良いかと思いましたが、
細かいお金を持っていなかったので、そばの店でみかんを買って5クローネ硬貨を作って、
輝美はトイレを使う事ができました。
さすがにお金をとるだけあって、中はきれいだと言う話でした。
さて、そろそろ汽車に乗ろうと準備していると、輝美がビデオカメラが無いと言い出しました。
すぐ、トイレの中に忘れてきたのを思い出し、
僕はすぐトイレの前に立ちふさがり、他の人が使わないようにし、
輝美は又20クローネ札を5クローネ硬貨に取り替えに行きました。
戻って来て5クローネを入れ、鍵を開けようとしましたが、
焦って反対に回したのでお金だけとられてドアーは開きませんでした。
もう一度お金を入れてやっと開けると、ビデオカメラはそこにありました。
不幸中の幸いでした。本当に良かった。
これでベルゲンのトイレは15クローネとみかん代についたことになります。
ただし、そのみかんは汽車の中で随分美味しく食べたので、
すべてよしと言うことになります。
アメリカに戻って、トイレに入るのはいくらかかるのか注意して見ますと、
駅のトイレはやはりタダでしたが、
サンフランシスコの町中にある公衆トイレは25セント入れないと、
ドアが開かない仕組みになっていました。
アメリカでは近くのデパートかマクドナルドのトイレを使うことをお勧めします。
東京の地下鉄の駅のトイレで気がついたのですが、
もちろん使用はタダですが、入り口に紙の自動販売機が置いてあって、
100円で買えるようになっていました。
つまり、100円と1ユーロ、10クローネが大都市での基本通貨の価値なのでしょうか。
もしそうなら、アメリカの25セントは、本来もっと強くなくてはならないのか、
それとも、使いたくもないトイレに25セントはゴミ程の価値しかないと言うことなのでしょうか。
又いずれ、僕達のノルウェー弥次喜多道中の続きができれば、幸いです。
芳則